2013年4月16日火曜日

ジャルダン・パルタジェ


パリの住宅地のところどころに、緑豊かな空き地がある。柵ごしにのぞくと、きれいに手入れされた野菜畑や果樹園があったり、雨宿りができそうな小屋があったり。パリ市が所有する土地を地域住民に委ねた公園で、「ジャルダン・パルタジェ(分かち合い公園)」と呼ばれている。

 東部の下町11区にパリ最古のジャルダン・パルタジェが現存していると聞き、早速訪ねてみた。車が行き交う大通りから石畳の細い歩道を入ると、かつては家具職人の工場だったという低層のアパートが並んでいた。東京の下町に残る長屋のように、軒先に緑が植えてある。目当ての公園の目印は、高さ5メートルほどのキウイの木。三方をアパートの壁に囲まれた100平方メートルほどの空間だが、小鳥のさえずりが響き、大都会のオアシスのようだった。

 「昨年のキウイの収穫量は37キロ。それを、今年は50キロに増やそうとは思わない。もっと世話がしやすく、おいしくすることを考える。私たちが望むのは量ではなく、質なんですよ」

 仕掛け人のひとり、俳優で歌手のティエリー・ラゲノーさん(52)がこれまでの歴史を説明してくれた。1999年、市が放置していた空き地の整備を思いつき、柵の錠を壊して隣人たちと無断で侵入。通りがかりの人々が捨てたゴミを拾い、雑草を刈り、キウイやイチジク、クワの木を植えた。そして翌年、住民の力で公園としてよみがえった空き地に地元の区長もご満悦。2001年の市長選で当選した社会党のベルトラン・ドラノエ氏は環境問題に熱心な市議らの意見を採り入れ、住民による市有地の「占拠」を禁じるのではなく、むしろ後押しする道を選んだ。

 ラゲノーさんは目を細める。「この公園は地域の公民館のような役割を果たすようになりました。キリスト教徒も、ユダヤ教徒も、イスラム教徒もイチジクの木の下に集まり、同じ感想をもらすのです。『住民同士のつながりが密になった』ってね」

 パリ市がジャルダン・パルタジェに本腰を入れたのは2003年。「緑の手」と名付けた約束を住民組織と交わし、推進することにした。手続きは簡単。まずは住民が関心を持った空き地を見つけ、市役所や区役所に運営計画を届け出る。行政側は周辺の治安や不動産登記上の問題がないか調べる。公園として適しているか見定めるため、土壌の検査をする。問題がなければ、市は水道口と土や道具を保管する小屋について財政支援し、運営はすべて住民組織に任せる。住民側は環境に配慮して整備を進め、最低週2回は公園を一般に開放しなければならない。

  ようやく寒さがゆるんできた3月下旬、同じ11区にある別のジャルダン・パルタジェを訪ねた。公立小学校が休みの水曜日だったこともあり、トランペットやサクソフォンを奏でるブラスバンドが子どもたちを引き連れてやってきた。手に握りしめた植物の種を野菜畑にまきながら大騒ぎ。春の訪れを告げる祭りのようだった。

 運営を担う住民組織のピエール・エレクシス・ユランさん(31)は「お金持ちはスキーに行くことができますが、余裕がない住民もここにくれば余暇を楽しむことができるのです。お年寄りはペタンク(鉄球を投げるスポーツ)を楽しみ、働き盛りの世代は日光浴で疲れをいやしています」と語った。

  欧州を覆う経済危機も出口が見えない。フランスの失業率も10%の大台を超え、さらに悪化する見通しだ。バカンス好きの人々も今年は「安近短」を選ぶ人が目立つ。

  環境政策を推進するファビエンヌ・ギブドー市助役は「危機が深まるにつれ、ジャルダン・パルタジェを開きたい、参加したいという要望が確実に増えています。飛行機や車でパリを離れずに家の近くで仲間や家族と自然を楽しむ。危機は皮肉にも市民の環境意識を刺激し、連帯感を高めるのに貢献しているのかもしれません」と語った。

 低所得者住宅が多い東部の20区に、実験的なジャルダン・パルタジェがある。その名は「パサージュ56」。一帯は麻薬に絡む犯罪が横行し、治安が悪いことでも知られていた。2008年、非営利の建築家集団が立ち上がり、アパートとアパートの間のゴミ捨て場と化していた空き地を公園に衣替えした。併設した小屋では、ミニコンサートや討論会を企画。有機野菜なども販売している。2年前からは地元の住民が自主管理組織を立ち上げ、運営している。

 建築家集団のメンバーで公園の設計に携わったコンストンタン・ペトクさん(55)は言う。「この公園は参加型民主主義の実験場でもあるのです。住民が自分たちの手で公共空間をつくる担い手になるという自覚を持つことができれば、荒廃した町を再生することができるのです」

  市内のジャルダン・パルタジェはこの10年間で計65カ所に増えた。その大半が庶民的な東部に集中しているが、今年の秋ごろ、官庁や高級住宅が立ち並ぶ7区にも第1号ができる。きらびやかなブティックやしゃれたレストランが並ぶ「華の都」の裏通りに、分かち合いのこころが今も息づいている。