2014年3月11日火曜日

とにかく高台へ逃げろ


南三陸町に、昭和三陸、チリ地震、東日本大震災と、3度の津波を体験した人がいる。いずれも逃げて無事だったが、自宅は2度被災した。貴重な生き証人は「一番言いたいのは、過去の体験談に先入観を持たず、とにかく高台へ逃げろということ」と話す。

 阿部清敬さん(90)は、同町志津川の海岸近くで育った。中学校の教諭や校長を歴任。退職後は、旧志津川町の教育長を務めた。

 昭和三陸津波を経験したのは9歳の時。1933(昭和8)年3月3日午前2時半ごろ、揺れを感じて布団から跳び起きて外に出たが、立っていられずしゃがみこんだ。

 明治三陸津波を経験した祖母の指示で、避難したのは自宅の2階だった。明治三陸津波の後に造られた高さ3・3メートルの石積みの防潮堤で津波は食い止められ、街への浸水はわずかだったという。

 60(昭和35)年5月24日。37歳の時にチリ地震津波に襲われた。午前4時ごろ、人の声が聞こえて目が覚めた。裏の畑に行くと、海水が防潮堤を越えて浸水した跡があり、土の中から気泡が出ていた。「海の水がひいた。大津波が来るから逃げろ」という女性の大声が聞こえたため、妻子らと高台に逃げた。

 この時は、津波は防潮堤を越えた。逃げる最中、何軒かの家が「ポッと」浮いて流れていく光景を目の当たりにしたという。自宅は床上2メートルまで浸水したが、再建して住み続けた。

 そして、東日本大震災。大きな揺れが長く続いたため、「津波が来ることを直感した」と話す。妻と2人、息子の車で町内の高台にある中学校に避難した後、自宅は流失した。

 阿部さんが一番言いたいのは、津波が来そうな時には「とにかく高台へ逃げろ」ということだという。「今回の震災では過去の浸水域を越えた所でも犠牲者が出た。伝承もその時々で検証しないとならないし、過去の浸水域を示す看板に先入観を持たないで行動すべきだ」と訴える。