2012年10月1日月曜日

岡山市操車場跡地、整備案



JR北長瀬駅(岡山市北区)周辺の旧国鉄操車場跡地の整備について、市は基本計画の素案をまとめた。「都市の森」をコンセプトに、公園や福祉施設、市営住宅などを整備する。跡地活用をめぐっては、20年以上議論が続いてきただけに、市はこの計画案で実現にこぎつけたい考えだ。

 跡地は約21ヘクタール。阪神甲子園球場約5個分に相当する。岡山ドームや駐車場もあるが、ほとんどが未整備のままとなっている。

 跡地の開発計画は1986年に持ち上がり、チボリ公園や球技場などの案があがった。しかし、必要性をめぐって反対意見が噴出するなどし、跡地全体の整備は実現しなかった。

 今回の計画では、「交流・防災」「総合福祉」「生活支援」の三つのゾーンに分けて整備。跡地中央の交流・防災ゾーン(約14.3ヘクタール)が全体の約7割を占め、芝生や小高い丘、水辺のある公園にするという。

 ドームや、食イベントなどが開かれる多目的広場もこのゾーンに含まれている。防災拠点としても活用できるように、避難生活に必要な物資の備蓄倉庫や、貯水槽も設ける。

 西側は総合福祉のゾーン(約4.8ヘクタール)に。西端に建設される新市民病院を含め、このゾーンにスポーツジムなどの健康増進施設や医療研究機関などを整備。医療福祉サービスの向上をめざしたいという。

 東側は生活支援のゾーン(1.8ヘクタール)とし、市営住宅や高齢者の福祉サービス施設、子育て支援施設も設ける方針だ。

 総事業費は約168億円(新市民病院の建設費は含まない)。市は年度内に計画を固めたい考えだ。市事業政策課の担当者は「都市ビジョンに挙げている『水と緑が魅(み)せる心豊かな庭園都市』を実現する場として、整備を目指したい」と話している。(逸見那由子)

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■旧国鉄操車場跡地をめぐる経緯

1986年 市制100周年記念事業として都市型公園「チボリパーク」を誘致する案が持ち上がる

  90年 誘致に関して不透明な経理が問題に

  91年 当時の松本一市長が「誘致の是非を市民に問う」として辞職し、落選

  92年 「水と芸術の公園」構想を発表

  93年 「水と芸術の公園」構想を断念

  94年 市土地開発公社が国鉄清算事業団から操車場跡地を約182億円で取得

  95年 サッカーができる球技場の基本計画を策定。計画はその後立ち消えに

2001年 跡地の一角にストリート系スポーツの施設「アクションスポーツパーク岡山(ASPO)」がオープン

  03年 岡山ドームがオープン

  11年 利用者数の低迷でASPO閉園