2011年9月28日水曜日

無罪的執行猶予!


日本の裁判官たちの間では「無罪的執行猶予」という言葉が使われている。検察の顔を立てつつ、無罪の心証を持った被告を事実上救済する判決のことを言うのだという。9月26日、東京地裁で言い渡された陸山会事件の判決は摩訶不思議な代物だった。
地裁の認定によれば、石川知裕・衆院議員と大久保隆規・元秘書は、岩手県・胆沢ダムの下請け工事受注の謝礼として水谷建設から計1億円ものヤミ献金を受け取り、その事実を隠すために政治資金収支報告書にウソの記載をしたということになる。
もし、これが事実なら、陸山会事件の実態は単なる政治資金規正法違反ではない。極めて悪質で、巨額の“贈収賄”だ。しかも2人は法廷で無実を主張し、反省の色を見せていない。司法関係者の常識だと間違いなく実刑のケースである。だが、実際に言い渡された判決は大久保氏に禁固3年・執行猶予5年、石川氏に禁固2年・執行猶予3年だった。
判決の奇 妙さは、大久保氏と石川・池田光智両氏との共謀を認定した部分にも表れている。検察側は石川氏が04年分、池田氏が05年分以降の政治資金収支報告書を虚偽記載する際に会計責任者の大久保氏に報告して了承を得たとして同氏を起訴した。だが、今年6月末に東京地裁が下した証拠決定では大久保氏と石川・池田両氏が互いの共謀を認めた検事調書は違法な「切り違え尋問」や「検察官による威迫、利益誘導、長時間の取調べ等の結果録取された」もので、任意性がないとして証拠採用されなかった。
つまりこの決定で大久保氏と石川・池田両氏の共謀を具体的に証明する証拠は排除されたのに、判決は3人の間で虚偽記載についての「共通の認識が形成された」ことを認め、大久保氏に「概括的な故意が 認められることはもとより、共同正犯としての責任も肯定できる」とした。これは常識では考えられない、支離滅裂な判断である。これは魚住昭(うおずみ・あきら)さんの指摘です。

次は朝日新聞社説です。
「公共工事をめぐる企業との癒着を背景に、政治活動の批判と監視のよりどころである政治資金収支報告書にウソを書き、不信感を増大させた」
小沢一郎氏の政治資金団体に関する裁判で、東京地裁はそう指摘し、元秘書3人に有罪を言い渡した。中堅ゼネコンから裏金が提供された事実も認定した。政界の実力者の金権体質を糾弾した判決といえる。
 秘書らは「有罪としても軽微な事案」と訴えていたが、これも退けられ、執行猶予つきながら公民権停止につながる禁錮刑が選択された。起訴後も衆院議員にとどまってきた石川知裕被告は、潔く辞職すべきだ。
描いた構図がほぼ全面的に認められたとはいえ、検察にも反省すべき点は多い。捜査段階の調書の多くは、威迫と利益誘導を織り交ぜながら作られたとして証拠採用されなかった。
 供述に頼らず、客観証拠を積み上げ、それによって物事を語らせる。取り調べでは相手の話をじっくり聞き、矛盾を法廷に示し判断を仰ぐ。そんな方向に捜査を見直すことが急がれる。丁寧に立証していけば主張が通ることを、判決は教えている。


直接的な証拠なくても客観的な“状況証拠”があれば有罪になることを示した判決を評価する朝日社説。この判決は、証拠がなくても被害者の一方的な証言で作り出される痴漢冤罪の構造だと、批判する江川紹子さん。みなさんはどう思いますか。